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旭川地方裁判所 昭和43年(ワ)18号 判決 1968年11月04日

原告

笠井タカ

被告

大洋産業株式会社

ほか一名

主文

被告らは、各自原告に対し、金七二万四、三二四円およびこれに対する昭和四三年二月一日から完済に至るまで年五分の金員を支払え。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は被告らの連帯負担とする。

第一項はかりに執行することができる。

事実

原告訴訟代理人は、「被告らは、各自原告に対し、金七二万四、九二四円およびこれに対する昭和四三年二月一日から完済に至るまで年五分の金員を支払え。訴訟費用は被告らの負担とする。」との判決および仮執行の宣言を求め、請求の原因として

「一、被告富居は、昭和四〇年一月二五日午後二時四五分頃、被告大洋産業株式会社(以下被告会社という)所有の普通乗用自動車(旭五は四八三五号・以下被告自動車という)を運転して、旭川市春光町五区大通り五区公園前交差点を同市末広町方面から同市春光町三区方面に向つて時速約三〇キロメートルで進行し、右交差点において、右交差点を同市内国立療養所方面から同市春光町四区方面に向つて(被告自動車の進路の左側方向から右側方向に向つて)時速約二〇キロメートルで進行して来た訴外旭川交通株式会社の普通乗用自動車(タクシー)に被告自動車を衝突させ、その衝撃により右タクシーの乗客であつた原告に頭部挫創、第七胸骨打撲前部損傷の傷害を負わせた。このため、原告は、三〇三日間の入院加療を受け、その後も通院加療を受けているが、頭部外傷後遺症が残存し、未だに頭痛がとれない状態にある。

二、右事故は、被告富居の過失によつて発生したものである。

すなわち、右交差点は、信号器の設置がなく、かつ見透しのよくない十字路交差点であり、しかも右事故発生当時路面は凍結し、ブレーキがよくきかない状態にあつた。そして、右交差点には、右タクシーが先入車となる状況にあつたのであるから、被告富居は、交差点に進入するにあたつては右タクシーの動向に注意し、一旦停車するかまたは極度に徐行してタクシーを通過させる等して危険を防止すべき注意義務があるのにこれを怠り、慢然交差点に進入したため、急制動をかけたが車輪がスリツプして前記事故を発生させたものである。

したがつて、被告富居は、原告に対し、右事故によつて生じた損害を賠償する義務がある。

三、被告会社は、右事故発生当時、被告自動車を自己のために運行の用に供していたものである。したがつて、被告会社は、原告に対し右事故によつて生じた損害を賠償する義務がある。

四、右事故により、原告は次のとおりの損害を蒙つた。

(一)  金一〇万二、四八八円

原告が、本件事故により蒙つた傷害の治療のため、昭和四一年一一月一七日から昭和四二年四月二五日まで一五八日間旭川赤十字病院に入院して加療を受け、同病院に支払うべき入院費

(二)  金四、一四二円

原告が、右傷害の治療のため、昭和四一年一一月一四日から同年同月一七日まで進藤整形外科病院に通院して治療を受け、同病院に支払うべき診療費

(三)  金一、〇八六円

原告が、右傷害の治療のため、昭和四〇年三月四日旭川厚生病院で診療を受け、同病院に支払つた診療費

(四)  金四、〇八〇円

原告が、前記旭川赤十字病院に入院中に要した洗濯代

(五)  金三、五二八円

原告が、札幌医大で診療を受けるため、附添人とともに札幌に宿泊した際に要した宿泊代

(六)  金一万五、六〇〇円

原告が、昭和四〇年六月一〇日から昭和四一年一月二七日まで旭川赤十字病院に通院した際に要したタクシー代

(七)  金二一万円

原告は、旭川市七条七丁目右八号で美容院を経営し、一か月平均二万一、〇〇〇円の純益をあげていたが、本件事故による負傷のためその経営ができなくなつたので、原告が失つたその得べかりし収入の一〇か月分(昭和四一年二月一日から同年一一月三〇日までの分)

(八)  金五万四、〇〇〇円

原告は、指圧治療の技術を有していて毎夜アルバイトをして少くとも一日二人以上を治療し、一か月平均一万八、〇〇〇円の収入を得ていたが、右負傷のためこれを休止するほかなくなつたので、原告が失つたその得べかりし収入の三か月分(昭和四一年二月一日から同年四月三〇日までの分)

(九)  金四〇万円

原告が右受傷によつて蒙つた精神的苦痛に対する慰藉料

原告が本件事故によつて蒙つた傷害の後遺症は極めて頑固かつ症状が固定的であり、左側頭部の痛みのほかに眼底痛もあつて明るい方向に目をむけられない状態にある。しかも、食欲がなく、焦燥感にさいなまれ、日常の洗濯もできないほどの倦怠感があり、生ける屍の如き有様で、高校教諭をしている夫に対しても非常な苦労をかけている。現在も通院加療を受けているが、将来のことを考えると希望が持てない。右の事情を斟酌すれば、原告が蒙つた精神的苦痛に対する慰藉料額は金四〇万円が相当である。

よつて、被告らは、原告に対し、各自右(一)ないし(九)の合計金七九万四、九二四円の支払義務があるところ、原告は、被告会社からこれに対する弁済として金七万円の支払を受けたのでこれを差し引き、被告らに対し、各自金七二万四、九二四円およびこれに対する本件訴状が被告らに送達された日の翌日である昭和四三年二月一日から完済に至るまで民事法定利率年五分の遅延損害金の支払を求める。」

と述べ、被告の抗弁に対する答弁および再抗弁として

「被告主張の示談が成立したことは否認する。かりにその主張のとおりの示談が成立したとしても、原告は、その際、入院中であつたが、間もなく回復して退院できるものと考え、かつ、得べかりし利益の喪失に対する損害賠償については別に話し合いをするものと考えて右示談の意思表示をしたが、その後の回復は予期に反し、前述のように後遺症に悩まされる状態となり、しかも、右示談が被告主張のように本件事故に関する一切の損害賠償についてなされたものであるとすれば、原告の内心の意思とは合致しないので、原告の右意思表示にはその重要な部分に錯誤があり、無効である。」

と述べた。〔証拠関係略〕

被告ら訴訟代理人は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、請求原因に対する答弁および抗弁として

一、請求原因第一項の事実中、原告の入院日数および後遺症が残存しているとの点は否認し、その他は認める。

二、同第二項の事実は認める。もつとも、本件事故は、原告が乗車していたタクシーの運転手の前方不注意の過失と競合して発生したものである。

三、同第三項の事実は認める。

四、同第四項の事実中、被告会社が金七万円を原告に支払つた事実は認め、その他は否認する。

五、(抗弁)本件事故に関する損害賠償につき、昭和四〇年三月一九日、原告と被告らとの間において

(一)  被告らは、原告の治療費の一切を負担する。

(二)  右治療費以外の原告に対する休業損失、慰藉料等一切の損害に対する賠償額を金七万円と定める。

との内容の示談が成立した。被告らは、右約旨に従い、原告が完治した昭和四一年三月一一日までの治療費および右約定の賠償金七万円を原告に支払つた。

六、原告主張の再抗弁事実は否認する。

と述べた。

〔証拠関係略〕

理由

一、請求原因第一項の事実は、原告の入院日数および後遺症が残存しているとの点を除き、当事者間に争がない。

〔証拠略〕によれば、原告は、本件事故の際頭頂部および胸部を強く打つて頭部挫創、第七胸骨打撲前部損傷を負い、頭部および眼部に痛みを感じるほか目がかすんだり胸が苦しくなつたりする症状を呈し、頭初旭川市内の森山病院に入院して一旦退院した後、昭和四〇年三月一三日から同年六月三日まで旭川赤十字病院に入院して加療を受け、その後一時小康状態となつたものの、再び病状が悪化して昭和四一年一一月一四日から同月一七日まで旭川市内の進藤整形外科病院で診療を受け、ついで同年同月一七日から昭和四二年四月二五日まで再度右旭川赤十字病院に入院して加療を受けたこと、しかるに未だに全快に至らず、時折左側の頭部および眼部に痛みを感じるばかりでなく、倦怠感が強く日常の家事にすら継続的には従事することができず、またしばしば吐き気を催す等の後遺症に悩まされていることが認められる。

二、請求原因第二、第三項の事実は当事者間に争がない。右事実によれば、被告らは原告に対し、本件事故によつて原告が蒙つた損害を賠償する義務がある。被告らは、本件事故は、被告富居の過失と原告が乗車していたタクシーの運転手の過失とが競合して発生した旨主張するが、かりに右事実が存在するとしても、被告らの右損害賠償義務には何等の消長も及ぼさない。

三、そこで原告が蒙つた損害額について検討する。

〔証拠略〕によれば、(一)原告が、前記のように旭川赤十字病院に入院した昭和四一年一一月一七日から昭和四二年四月二五日までの間における入院医療費のうち原告が負担すべき分は金一〇万二、四八八円であること、(二)原告が、前記のように進藤整形外科病院で受けた診療に対する診療費は金四、一四二円であること、(三)原告は、昭和四〇年三月四日にも旭川市内の旭川厚生病院において右傷害について診療を受け、その診療費として金一、〇八六円を支払つたこと、(四)原告は、前記旭川赤十字病院に入院中洗濯屋にさせた洗濯の代金として、金四、〇八〇円を支払つたこと、(五)原告は、昭和四一年三月三日頃、札幌医大で右傷害について診察を受けたが、その際原告は、附添人と共に札幌市内に一泊し、その宿泊料として金三、五二八円を支払つたこと、(六)原告は、昭和四〇年六月一〇日から昭和四一年一月二七日までの間、病院に通院するためタクシーを利用し、その代金として金一万五、六〇〇円を支払つたこと、(七)原告は、本件事故に遭うまで旭川市内において店舗を賃借して美容院を経営し、毎月少くとも金二万一、〇〇〇円の収入を得ていたが、本件事故によつて負傷したため休業の止むなきに至り、その後約一年後に営業を再開したが、傷が全治していなかつたために営業を継続するに耐えられず、約二か月後に結局廃業するに至り、このため、昭和四一年二月一日から同年一一月三〇日までの間(一〇か月間)に少くとも金二一万円の得べかりし収入を失つたこと、(八)原告は、指圧およびマツサージの技術を習得しており、前記美容院を経営するかたわら、その美容室内にベツドを設けて、夜間、指圧およびマツサージに従事し、一日平均少くとも金六〇〇円の収入を得ていたが、右負傷によつてそれを継続することができなくなり、昭和四一年二月一日から同年四月三〇日までの間(八九日間)に少くとも金五万三、四〇〇円の得べかりし収入を失つたことが認められ、さらに、原告は、本件事故当時四七才で健康であつたことが認められる。(九)そして、右に述べた、本件事故の態様、原告が受けた傷害の程度、これに対する治療の経緯、現在の症状、原告の年令、職業および右負傷が原告の営業に及ぼした影響等を考慮すれば、原告は、本件事故によつて多大の精神的苦痛を受けたことがあきらかであり、これに対する慰藉料額は金四〇万円が相当であると認められる。

したがつて、原告は、本件事故によつて、右(一)ないし(九)の合計金七九万四、三二四円の損害を蒙つたものというべきである。

四、そこで、被告の抗弁について判断する。

〔証拠略〕によれば、原告と被告会社および訴外旭川交通株式会社との間において、昭和四〇年三月一九日、本件事故につき示談が成立し、右両会社は、原告に対し、原告の入院費用および治療費の一切を負担するほか見舞金として金六万円を支払い、さらに被告会社は単独で右のほか金一万円の見舞金を支払うことを約束したことが認められる。したがつて、原則としては、原告は、右示談契約によつて右両会社に対し、本件事故による損害賠償請求権につき、右に約定されたもののほかはすべて放棄したものというべきである。

しかし、事故による全損害を正確に把握し難い状況のもとにおいて、早急に小額の賠償金をもつて満足する旨の示談がされた場合においては、示談によつて被害者が放棄した損害賠償請求権は示談当時予想していた損害についてのみと解すべきであつて、その当時予想できなかつた不測の再手術や後遺症がその後発生した場合には被害者はその損害賠償を請求できると解すべきである(最判昭和四三年三月一五日民集二二巻三号五八七頁参照)。これを本件についてみると、〔証拠略〕によれば、右示談が成立したのは、本件事故発生後未だ二か月を経過しない昭和四〇年三月一九日であつて、原告が旭川赤十字病院に第一回目の入院をしたわずか数日後のことであつたこと、原告は、負傷以来美容院を休業していたため無尽の掛金の支払に窮し、早急に示談することを希望した結果右示談契約が成立するはこびとなつたこと、原告は、右第一回の入院をした際、同病院の医師から軽症である旨を告げられていたので、右示談契約をした当時一か月程度の入院加療によつて全治し、その後は事故前と同様に仕事に従事できると考えていたこと、前記示談において約定された両会社が支払うべき見舞金六万円は、一日金一、〇〇〇円の割合による二か月分の休業による損害を賠償することを目安として約定された金額であることが認められる。右事実によれば、原告が前述のように長期間にわたる治療を必要とし、事故後三年半以上を経過するも後遺症に悩まされる結果となつたことは、右示談成立当時は全く予想されなかつた事態であり、したがつて、原告が、右のような事後の状況に基づく損害賠償請求権をまですべて放棄する意思で右示談契約を締結したものではなかつたことがあきらかである。そして、原告主張の各損害は、いずれも治療費または右示談の際には予測できなかつた事態に基因するものであるから、原告が右示談によつて本訴請求にかかる損害賠害請求権を失つたものということはできず、被告らの抗弁は失当である。

五、被告会社が原告に対し、本件事故による損害賠償として金七万円を支払つたことは当事者間に争がない。そうすると、被告らは、原告に対し、各自前記原告が蒙つた損害金七九万四、三二四円から右金七万円を控除した金七二万四、三二四円およびこれに対する履行期の後である昭和四三年二月一日から完済に至るまで民事法定利率年五分の遅延損害金を支払う義務があり、原告の請求は右の限度で理由があるが、その余は理由がない。

よつて右の限度で原告の請求を認容してその余を棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条、第九三条、仮執行の宣言につき同法第一九六条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 橘勝治)

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